自信が持てない理由
こんにちは!
玉木清子です
ブログ開いてくれてありがとうございます
前回のブログの中で自分に自信がないっていうことに少し触れたけれど、
どうして自信がないのか色々考えてみた
傍から見たら
好きなダンスを仕事にできて、
家族がいて、
子供にも恵まれて、
さらにピラティスも習得し
スタジオを経営して軌道に乗っている
確かにすごくうまくいっている
それなのになんで自分に自信が持てないんだろう?
。。。
色々過去の自分と向き合って考えていくとやっぱり幼少期の頃に辿り着く
子供の頃、、、
褒められた記憶があまりない
何事も出来て当たり前
いつもちゃんとしてなきゃいけないって思ってた
優等生でいなきゃいけないって思ってた
私、幼い頃は成績とっても良かったの
100点取るのが当たり前
90点代だったらどこ間違えたのって言われ
80点台だったらどうしちゃったの?って冷たくあしらわれた
成績が良くても褒められたことはなかったけど
よその人が私のことを褒めている時の母は
とても嬉しそうな笑顔を浮かべていたので
それを見てそうあらねばと思っていたのだろうな
自分が親になって我が子の成績を見て、あれ、私って賢かったんだなぁって気づいた。笑
家の手伝いをしても、
手伝うことは当たり前のことで褒められるようなことではないって突き放された
これやっといたよ!
なんて自慢するようなものならかえって怒られた
母の時代は本当にそれが当たり前のことだっただろう、母自身も褒められたことなどはなかったのだろうな
戦前の田舎の貧しい暮らしで当時の義務教育の小学校までしか出ていない、すぐに東京に奉公に出て働いて給料は本人ではなく親に渡されていたそう
私は母と血が繋がっていない
でも母はたくさんの愛情を注いで大切に育ててくれ、感謝しているし
もちろん大好きだ
でも、、、
いろんな節目で確執がゼロだったと言ったら嘘になる
肝心なところで自分の意見ややりたいことを伝えることはできなかった
これは進学や就職の話につながっていく
こうでなければいけない
こうしていなければならない
ちゃんとやらなければならない
いい子でいなければならない
『そうしないと母に嫌われる』
私の根底には
この恐れ故
この
「ねばならない」
というのがずっと根付いていたんだろうな
やりたいことをやりたいようにやってきたつもりだけど
それは表面的な行動の部分で
自分の本質は
この
「ねばならない」
にという言葉に縛り付けられていた気がする
喜びや希望からくる前進ではなく
ねばならないから進む
だから、周りから見て成功して幸せそうに見えても
自分自身の心は満たされていないから
自信が無いままだったのだろうな
母とのことはまだ続く
最後まで読んでくれてありがとうございました